あああまた大徳寺の枯山水庭園は時代に沿って変化していった。室町時代に作庭された、大仙院の水墨画に影響を受け自然風景を忠実に表した庭と、竜吟庭と真珠庵庭園のやや抽象的な庭、この二つの要素を合わして大徳寺の枯山水は現代まで発展していった。また江戸時代に小堀遠州によって作庭された孤篷庵の庭は茶道の影響がつよく、枯山水の様式や手法が多彩になってきたといえる。それは昭和に重森三玲によって作庭された瑞峯院の、石で十字架を切った閑眠庭からもわかることである。つまり時代を追うごとに、禅の思想だけでなく自由な発想で作庭されるようになったといえる。
大徳寺は寺域の拡張と消滅の結果、ほとんどの庭は塀によって仕切られているため、密な空間のなかの庭園が発達した。これは現在の日本の住宅と同じことがいえる。そして枯山水庭園は、水を必要としない事から、経費も少なくてすむうえ、どこにでも作庭できるので、住宅にも適用しやすい。このことから今後、枯山水は一層の発展や変化が予想できる。
また大徳寺の庭園の発展過程が示すように、今後の枯山水は、幽玄などの、禅的なものを求める必要もなく、また、必ずしも山水的な風景的庭園の必要もない。すなわち、あらゆるデザインが創作されてよいはずであるから、今後さらに変化に富んだ枯山水庭園が出現するであろうことが期待できる。

