2010年06月26日

けつろんのけつろんああ

あああまた大徳寺の枯山水庭園は時代に沿って変化していった。室町時代に作庭された、大仙院の水墨画に影響を受け自然風景を忠実に表した庭と、竜吟庭と真珠庵庭園のやや抽象的な庭、この二つの要素を合わして大徳寺の枯山水は現代まで発展していった。また江戸時代に小堀遠州によって作庭された孤篷庵の庭は茶道の影響がつよく、枯山水の様式や手法が多彩になってきたといえる。それは昭和に重森三玲によって作庭された瑞峯院の、石で十字架を切った閑眠庭からもわかることである。つまり時代を追うごとに、禅の思想だけでなく自由な発想で作庭されるようになったといえる。
大徳寺は寺域の拡張と消滅の結果、ほとんどの庭は塀によって仕切られているため、密な空間のなかの庭園が発達した。これは現在の日本の住宅と同じことがいえる。そして枯山水庭園は、水を必要としない事から、経費も少なくてすむうえ、どこにでも作庭できるので、住宅にも適用しやすい。このことから今後、枯山水は一層の発展や変化が予想できる。
 また大徳寺の庭園の発展過程が示すように、今後の枯山水は、幽玄などの、禅的なものを求める必要もなく、また、必ずしも山水的な風景的庭園の必要もない。すなわち、あらゆるデザインが創作されてよいはずであるから、今後さらに変化に富んだ枯山水庭園が出現するであろうことが期待できる。
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2010年06月25日

結論

大徳寺の庭園の多くは枯山水であり、禅院庭園である。禅の思想は庭園に大きな影響をあたえている。たとえば、真実の自己本来の姿、誰もが本来具えもっている超絶対的な人格、悟りの極致を形容表現し、石を中央に寄せて立てたり、また集団で石組をした中央に立石を用いたりして表現した、石組の須弥山石組や、東海中に仙人の住む不老不死の霊山のことである蓬莱山を、庭園内に作った島をそれに見立ているものがある。枯山水の庭にある石組みや島は美しさのほかにそのような意味をもっているのである。
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2010年06月24日

じゅこう院

作庭過程
永禄9年(1566)三好左京太夫義継が父の長慶の菩提を弔うために建立した。開山は大徳寺107世の笑嶺宗訢和尚である。院名は長慶の法号「聚光院殿」による。
 庭園の作庭年代や作者に関する文献はなく不明である。
寺伝では千利休の作と伝えられているが、これは開山の笑嶺やその弟子の古渓に参禅し、父の代から有力な壇越であったからであろう。
 庭園の様式や手法に利休の活躍した天正末期より古い室町・桃山初期のものが見受けられることから本院創設の永禄9年またはその直後とされている。
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